傍聴日誌 東京高等裁判所 

 令和5年10月25日 東京高等裁判所へ裁判の傍聴に行きました。

 ヘルパーの国家賠償控訴審です。

 朝、今日何をして過ごそうかなあと、何気なくインターネットで裁判の傍聴の検索をしました。そこで初めてこの訴訟を知り、今まで全く気にもしなかった介護業界の問題を知りました。

 横浜から霞が関への移動、整理券の配布時間を逆算し、これまでの経緯をくわしく

調べる暇もなく、家をでました。

 一番驚いたのは、給料の低さ、これでは女性ひとり生活できない。賃金のベースとなっているのは、介護報酬である。移動、キャンル 待機時間は労働時間に算入されず無給なんですね。どうしてですか。キャンセルされることなどあるのかと疑ったが、介護業界ならではの実情があるのだ。

 ヘルパーさんは、こんな劣悪な環境で仕事をしているんですか。

 ここは日本ですよね。

 

 今から30年以上前、市役所で行われた生涯学級で、介護のテーマがあり、30代の専業主婦の方が 「命の問題ですよね」といったことに腹立たしさを感じたことがある。精神論で問題から目をそむけるのはやめてほしいと思ったのだ。

 今のヘルパー訴訟でも、根底にあるのは女性、やさしさ、精神論でいかようにでもなると男社会がいっているように感じる。

 子育て世代には優しい社会、出産を保険適用にと、偏った政策が多い気がする。

世の中の人に利益をもたらしているのは、そのかただけですか。それ以外は守らなくていいんですか。気にしなくていいんですか。目をそむけてもいいのですか。

 この問題を世界が注目してほしいと願っています。

 

 

 

 

 

 

 

宅建試験を終えて、無性に本が読みたくなりました

「その朝お前は何を見たか」 笹沢佐保

 

 背表紙のタイトルに惹かれ、裏表紙のあらすじを見る。

 

 「なぜパイロットをやめたのか」「どうやって妻を見つけだしたのか」「本当に誘拐事件をおこしたのか。そんなことをする妻だったのか」知りたくて居てもたってもいられなくなり、読み始める。

 夫がジェット機パイロットを辞めた。華やかでステータスも高い職業、自慢の夫だったのだろう。専業主婦にとって、夫と子どものできが、自分の価値だったころの話かもしれない。そうだとすると妻の落胆はとても大きかっただろう。子どもにむかって「いくじなしで、ダメなお父さん」と言っている。ダメな夫と一緒にいる妻は、子どもをおいてでもこの場から逃げたいと思ったのではないか。普通の主婦だったら、すがってでもついていくだろうが、彼女には美しさがあった。上昇志向が高い女性だったのだろう、このままでは終われないという勢いが伝わってくる。人生の変身をしたかったのだと思う。

  彼女は、自ら誘拐事件をおこしたわけでもなかったわけで、残酷な悪女でもなかった。ただ女として自由奔放に正直に生きていきたかったのかもしれない。

 文庫本に著者の紹介が、なかったので、この本を手にしたときには、いつごろの時代かわからなかった。文中にディスコ、公衆電話、電話帳とあるので、なんとなく昭和の終わりころかなと感じた。蒸発した彼女も私と同世代だったのかな。後で著者をネットで検索し、とても有名な作家さんだったことを知るのだが。

 

「お前は何を見たか」

彼女のような生き方に惹かれる自分がいる。美しく、行動力があったなら・・・。

 

 

一生悩み続けて生きていくのでしょう

 

大好きなビールを飲む。今日のお供は韓国ラーメン。本を読みながら、ビールを飲み

ラーメンをすする。最高です。

 

小学生のころ、日曜日に放映される「サザエさん」をみて、それが終わるころ、とても物悲しくなることありませんでしたか❔

明日からまた学校だと。嫌いな先生、嫌いな友達、そして勉強、たちまち現実に引き戻されてしまう。私は気分が落ち込んでばかりでした。

 

あの感覚jが、いまだに続いています。もう50代後半なのに。

 

感動する映画を見ても、わくわくする本を読んでも、ウォーキングをして素晴らしい景色をみても、不安がよぎってしまうのです。

 

過去、仕事もプライベートも充実して幸せと思えることもあったけど、お金に苦労している両親を思い浮かべては、気持ちが沈んで、落ち込んでばかりいました。

 

そして今、ローンの支払い、水光熱費の請求書を前に、ため息をつき、現実にひきもどされています。

 

死ぬまで、心休まることはないだろうなあ。

不可解なひとたち

 面接で、できますといったのに、実際入社してみると、「できません」と正々堂々と言うひと。

 この業務は無理ですといい、早々にあきらめ、それについて勉強したり努力しようとしないひと。

  給与の手当の計算方法に変更があったのにもかかわらず、事前にしらせもせず、支給後説明を求めるも、トップの考えですと言いきる担当者。

 

 そのようなひとをみて、みんな不可解だとは思わないとのこと

 

 そのように思う私のほうが不可解だということなのだろう。

 

 

 

私には敷居が高い結婚相談所というところ

結婚相談所にパンフレットを送ってもらってから、もう5年以上になるでしょうか。

いまだに登録にいったことはありません。

 

毎週のようにメールを送ってくださる相談所の方がいて、出会いの素晴らしさを語ってくれます。

 

一歩踏み出せない理由は、まず会費が高いこと。

給料も、住居費と教育ローンの支払いでほとんどふっとんでしまいます。

仕事も制服があるので、普段着だって、ジーンズにセーター。かしこまったところに行くにはふさわしくないので、一張羅を用意しなければなりません。

 

髪型もメークも、きちんとしないとなあ・・・。

 

めんどくさいとなってしまいます。

 

でも歳をとって、どんどんチャンスが減っていきます。

 

春になったら、気軽に臨港パークに集まって、お花見とか、

そんな出会いの場をつくってくれる相談所ないかなあ。



 

 

父のやさしさの記憶

幼いころから、強度の近眼でした。

親も気が付かず、小学校二年生くらいになって、黒板が見えないと親に伝えました。

生まれつき、見えなかったので、みんなこんなものなのだと思っていました。

小学校一年生の国語の時間、句読点を書くように先生に言われ、文字の大きさと同じ大きさで、書いてました。

成績も悪く、暗く陰気なこどもでした。

 

父が、それは大変だと、母に眼鏡をつくってもうらうようにといい、眼鏡を作りました。

牛乳瓶の底のような、分厚い、ぐるぐる眼鏡でした。

その眼鏡も見て、父は母を怒鳴っていました。

「おなごだもの、なんでこんな眼鏡にした。作り直してもらってこい」

 

もう一度眼鏡屋にいき、少し薄いレンズにした記憶があります。

 

パチンコばかりやっていて、威張って怒鳴ってばかりいる父ですが、やさしさを感じたのはこの時だけだった気がします。

 

昭和50年ごろのことです。

血脈

本を読んでいて、文中の「精神的血脈」という言葉が頭からはなれない。

血脈。血筋。精神的な。

私は、疑り深く、ひねくれている。それは昔からで、50年以上もそれを保ち続けている。

幼いころ、母は、父に似たのだよと言った。

母いわく、父は見栄っ張りで、ええかっこしいだと、嫌っていた。

両親は、商売をしていたが、働くのはもっぱら母で、父はパチンコばかりしていた。働きもしないのに、いばりちらしていることが多かった。お客の誰かの誘いで、県外までいって競馬をするようにもなった。商売もうまくいかず、お金にはとても苦労してのに。

私は、パチンコや競馬は絶対にしない。嫌悪感すら抱くのは、そのせいだと思っている。

 

私が、中学生ごろ、昭和55年ごろだったか、父が同級生の借金の連帯保証になったが、友人は夜逃げしたらしく、音信不通。借金とりの、電話が頻繁にくるようになり、

精神的にもどん底だった。

 

他にも、たくさんの争いごと、憎むべきことがあり、私のこの性格の悪さがつくられたと思う。

 

環境のせいなのだと言いたいところだが、そんな境遇を引き寄せる血だとするなら、

その運命を受け入れなければならないのか。