父のやさしさの記憶

幼いころから、強度の近眼でした。

親も気が付かず、小学校二年生くらいになって、黒板が見えないと親に伝えました。

生まれつき、見えなかったので、みんなこんなものなのだと思っていました。

小学校一年生の国語の時間、句読点を書くように先生に言われ、文字の大きさと同じ大きさで、書いてました。

成績も悪く、暗く陰気なこどもでした。

 

父が、それは大変だと、母に眼鏡をつくってもうらうようにといい、眼鏡を作りました。

牛乳瓶の底のような、分厚い、ぐるぐる眼鏡でした。

その眼鏡も見て、父は母を怒鳴っていました。

「おなごだもの、なんでこんな眼鏡にした。作り直してもらってこい」

 

もう一度眼鏡屋にいき、少し薄いレンズにした記憶があります。

 

パチンコばかりやっていて、威張って怒鳴ってばかりいる父ですが、やさしさを感じたのはこの時だけだった気がします。

 

昭和50年ごろのことです。